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「ぼちぼちと京都」エコラム執筆者トークセッションその1

「ぼちぼちと京都」 トークセッション
「自然とつながる、人とつながる~くらしのモノサシを変えてみよう」

 2010年 3 月 16 日(火)京都市中心部にある古い町屋「ちおん舎」にて、「エコラム」をお書きいただいている執筆者の方々にお集まりいただき、トークセッションを開催いたしました。どのような活動をされているのか、あるいはどういった「想い」や「考え」から今の生活や生き方に至ったのかなどについて、「あなたにとって、つながりとはなんですか?」「あなたのしごと・くらしのモノサシはなんですか?」の二つのテーマに沿って、お話いただきました。

パネリストの方々

■蒲田充弘(かばたみつひろ)さん(NPO法人丹後の自然を守る会 理事長)
1999年から阿蘇海の自然を守ろうと家庭からの廃食油の回収活動を始め、2003年特定非営利活動法人丹後の自然を守る会を設立、理事長に就任。現在も、廃食油回収およびバイオディーゼル燃料の推進を中心に活動、子ども向けの環境教育も行っている。

■隅岡樹里(すみおかじゅり)さん(オーガニック料理家)
1978年京都市左京区大原生まれの静原育ち。京都芸術短期大学卒業後、ギャラリーカフェ「PRINTZ」のキッチンを担当し、自身でアートイベントや舞台へのケータリングも始める。静原にて「CAFE MILLET」を開き、アート・農・環境をキーワードに様々なワークショップなども開いている。

■上世屋(かみせや)の新米おばさん(NPO法人里山ネットワーク世屋会員)
宮津市の北西部、11月の終わりには初雪が降る上世屋(かみせや)に7年前にIターン。夫婦2人と犬1匹のゆったりした時間の中での田舎暮らしを楽しまれています。田畑を耕さず、1日2回の犬の散歩が日課。今年からは家庭菜園をと、土作りの最中。世屋加工グループ会員。

■塩見 直紀(しおみなおき)さん(半農半X研究所 代表)
1965年、京都府綾部市生まれ。カタログ通販会社フェリシモを経て、2000年、半農半X研究所を設立。21世紀の生き方、暮らし方として、半農半Xというコンセプトを提唱。市町村から個人までのエックス(=天職)を応援するミッションサポートとコンセプトメイクがライフワーク。著書に『綾部発 半農半Xな人生 の歩き方88』、『半農半Xの種を播く』(共編著)など。『半農半Xという生き方』は中国語訳もされている。

■ 全体司会:北井香(NPO法人木野環境 職員)
■ トークセッション司会進行:齋藤友宣(NPO法人木野環境 理事・職員)

 

自己紹介 

 パネリストの方々に、なぜそのような生き方をされるようになったのかということを、まずは自己紹介を兼ねて、写真を使いながらお話いただきました。
 

■蒲田充弘さん
 NPO法人丹後の自然を守る会の理事長をしております蒲田充弘です。私は、丹後地域を中心に使用済み天ぷら油の回収をしてBDF(バイオディーゼル燃料)を作るNPOを立ち上げて活動しています。地域コミュニティの推進になるようにと、やってきました。
きっかけは、10年前です。故郷の与謝野町に阿蘇海という海があります。


  真ん中の細長い部分が、あの日本三景の天橋立です。この海が、10年前は、生活廃水と工業用排水でヘドロがひどく、生き物がなかなか棲めない状態だったんです。この海の真ん中らへんだと、だいたい4メーターぐらいで無酸素状態、生き物が生きられない。ヘドロでメタンガスが出るような海でした。
 これをなんとかできないかということで、使用済み天ぷら油の回収を始めました。


 この白いポリ容器を各家の前に置いていただいて、これ1個につき10軒から15軒の隣組が協力するというシステムを自分なりに考えて、地域の人に協力をしてもらって集め始めました。
 

 それから活動が広がり、学校の総合的学習とか、中学校のリサイクルの授業などに、ゲスト・ティーチャーとして呼ばれるようになり、今も講義しています。
 子どもたちに教えて、子どもたちが家に帰って「おかあさん、僕とこの油はどうしてる」と、大人に問いかけるというような環境学習の推進員をしていました。


 これ、いま私の家の横にある、バイオディーゼル燃料をつくる機械です。これは日本でただ1台しかありません。京都市さんの機械とはまた違う大きさで、これで2日かけてドラム缶2本の燃料を作ります。これをつくるときは結構大変でした。ほとんど今はコンピューターで動くんですけど、そのコンピューターを覚えさすのに、24時間付きっきりで弁の開閉を調整しないとだめですし、これがパイロットな機械なもので何年もつかわからない。購入当時はステンレスとか鉄が高い時期だったので、総額5,000万円しました。そのうちの2,500万円が農林水産省からの補助金です。国の税金で、モデル事業としてできました。広域に渡ってたくさん使用済み天ぷら油を集めるシステムが、丹後地域でできていたということが強みだったようです。
 
  そういったことをウエブページ等でいろいろと宣伝しているなかで、海外からも取材を受けました。
上の写真は、オランダから取材に来た時にものです。CSの放送で世界に流れるということで、日本人の通訳の方も来て、取材を受けました。「この機械に天ぷら油ドラム缶2本分が入って、1日半かけて燃料ができます。で、その燃料を丹後全域で公共性のあるゴミ収集車だとか福祉バス、そして給食センターの給食の配送、公共、みんなのために使えるような燃料として、月にだいたい4,000リッターはそういう所で使ってもらっています」というように説明をしました。
今年は、この燃料づくりに加えて、「地産地消」とか「食の安全」というキーワードで、農家の方と一緒にトラクターをこの燃料で動かしながら、環境にやさしい農業を進めていこうとしています。そういったところにも活動を広げている団体です。
 

■隅岡樹里さん
  私は、ここ(京都市上京区)から車でだいたい30分ぐらいの所、大原と鞍馬のあいだに静原という場所がありまして、そこで完全予約制でカフェをしています。カフェ・ミレット(CAFE MILLET)という名前です。

   この写真は、カフェで、月に1回石窯を使ってワークショップをやっている様子です。カフェは自然豊かなところにあるので、そこを活かして、いろいろ都会の人たちと一緒にワークショップをしていまして、これはその一環でパンを焼いています。そのパンも国産の小麦を石臼で挽いてつくっています。


    これが原麦です。


   これは石窯で焼いたピザが出てきたところです。なるべく日本の食材を使うということで、もちきびと豆乳でつくったソースでピザを焼いています。


   こういう場所に住みながら、私は小さい時は農業というものには触れていませんでした。でも、静原のこの土地で、おととしぐらいから友達と集まって、お米をつくったり、農業を始めています。まだまだ駆け出しで、まねごとにしかすぎないんですけれども、とりあえず自分たちができることから始めています。
 

■上世屋の新米おばさん(坂田正美さん)
   本名は坂田正美です。主人と犬7歳と一緒に住んでいます。
上世屋は宮津から車で30分から40分ぐらい奥に入った所なんですが、本当かどうかは知らないんですが、京都のチベットとかって言う人がおられる所です。まあ、だいたいそういうふうに言われてるというのを想像していただければわかるような場所です。


   これは3月14日に撮った写真で、下のほうが棚田です。上が私の家なのですが、上世屋にもともと住んでいた人が、別荘というか休憩所に建てた家を買い住んでおります。ですから、上世屋の一般的な家とは全然違います。ほかのお宅は、ほとんど茅葺の上にトタンをかぶせたような感じのお宅です。
 写真の左端に、赤い2本の鉄の棒が立っていますが、これは田植えが終わったら、イノシシが来ないようにそこにドアを付けるためのものです。みなさん、そのドアをあけて散歩に行ったり、作業なさったりされます。

 そして、去年、世屋の加工グループを立ち上げました。世屋の地元で採れたものを使って、加工し販売しています。世屋地区は5村あるんですけれども、その村で立ち上げたグループで、女性4名で構成しており、「世屋加工グループ」という名前です。

   この写真は、そのグループで、宮津市の体育館のまごころ市に行って加工品や野菜などを販売しているところです。


  これがいつもの私のスタイルですね。だいたい、上世屋では、1年中長靴ですね。どこへ行くにも、長靴です。普通の靴を履いて歩いたほうが楽なんですけれども、ちょっと脇道に入って何かをするときには、運動靴だとジュクジュクになるので、長靴スタイルが上世屋流です。この写真を撮ったのは、3月14日なのに毛糸のマフラーをしていますね。3月中旬の今も、雪がちらっと残っています。3月9日、10日は少し雪が降ってまだ寒かったので、服はだいたいこんな感じです。


 そして、これは「粟かち」の写真です。粟もちを私たち加工グループで売っております。
この写真は、おばあちゃんたちがつくった粟を、京都府立大学の学生さんに来ていただいて、一緒に「粟かち」をしています。粟を木槌叩いて外す作業です。これはたいへんな重労働で、学生さんもちょっとまいってしまうような感じです。量にもよりますが、木槌を持って叩くのが、私も初めてだったものですから、ものすごくたいへんな作業でした。こうして京都府立大学の学生さんが来られて、一緒に作業することがあります。来年からは、この作業をしなくても農業改良普及所から電動脱穀機をお借りしてしようと思っています。
 

■塩見直紀さん
 京都府綾部市から参りました塩見と申します。お隣の方は「チベット」だそうですが、綾部は「バリ島」と言ってくださることがあります(笑)。綾部は1つのパワースポットだと私は思っています。綾部は大本教の発祥の地とかグンゼ(郡是)発祥の地、合気道の発祥の地です。昭和25年に世界連邦宣言をした第1号宣言都市であります。綾部は平和都市をめざし、僕の小学校の校歌には「平和都市」という言葉も入っており、30年前から歌ってきました。そんな精神風土が綾部にはあるのです。


 この写真は私の住んでいる村の風景、年末の雪化粧の風景です。写真の右端のほうには、築150~200年くらいでしょうか、昔ながらの古民家がたくさんあります。村は73戸あるので、限界集落ということは当分ならないでしょう。最寄りの信号は4キロ先。こういった村、里山で小さい頃から過ごしてきました。大学進学で外に出て、99年に約15年ぶりに綾部にUターン。ちょうど10年となりました。95年から「半農半X」というコンセプトを提唱、会社を辞めた翌年の2000年に半農半X研究所を綾部に設立しました。


   阪神大震災の翌年から自給農(田んぼ、畑)を始めました。この写真は我が家の田んぼです。農作業では僕は常に、ポケットの中には必ず鉛筆と紙を入れています。そこでひらめいたこと、インスピレーションをこうしてメモし、家に持ち帰り、午後、企画書にしたり、エッセイにしたりしています。僕にとって、農とエックスはつながっていて、善循環の関係にあります。
 環境問題と出会ったのが1989年ころですのでちょうど20年前。その頃から生き方、暮らしを変え始めて、シフトしてきました。大学卒業してフェリシモという会社に入ったんですが、同期生が芸大系出身も多く、まさに今日もお越しの京都精華大学のようなユニークな人材が多い会社だったので、そこではじめて自分の個性とは何か、何ができるのかなど、自分探しが始まりました。この自分探しと環境問題。これが私にとって「21世紀の二大問題」だったんです。この二つの難問を解決する方法、一石二鳥な方法はないかなと考えた結果が、結論が「半農半X」だったというわけです。「二兎を追う者は一兎をも得ず」といいますが、農と天職の二兎を追うことで見えてくる地平もある。それが「半農半X」ではないかと考えています。農業の繁忙期には、農中心の暮らしでのリズムがあるので、忙しくも、ゆったりした生活です。


 2003年にソニー・マガジンズから『半農半Xという生き方』を上梓させていただいたんですが、思いがけず2006年、中国語訳され、台湾で出版されました。本の題は『半農半X的生活~従順自然、実践天賦~』(天下遠見出版社)です。2009年、驚いたことがありました。中華人民共和国の成都という1億人くらい住む街の雑誌の編集者から「いま、中国人も半農半Xを求めています」とメールが届きました。それで「成都客」というタウン誌に半農半Xが20ページの特集がされました。ほんとうに驚いています。また、昨年、半農半Xレポが英訳され、英語で世界に発信されました(環境NGO「ジャパンフォーサステナビリティ」)。今後の課題は、半農半Xをどう英訳するかです。簡単ですが、以上が自己紹介です。

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