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Vol.013熱帯雨林からの声

熱帯雨林からの声-森に生きる民族の証言

京のアジェンダ21フォーラム 事務局コーディネーター
石崎雄一郎さん
1980年生まれ。大阪府枚方市在住。
小さい頃から、環境問題や国際協力に興味を持ち、大学時代はEco-Habitat関西学院でフィリピンでの貧しい人のための家づくりボランティアを行う。現在、京のアジェンダ21フォーラムで京都の環境のまちづくりに従事するかたわら、ボルネオで熱帯林保全活動を行うなど、さまざまなNGO・団体で精力的に活動している。ウータン・森と生活を考える会植林担当。ボルネオ保全トラストジャパン(BCTJ)理事。関西NGO大学運営委員。
 ○ウータン・森と生活を考える会>>>
http://hutang.jimdo.com/

 ○ボルネオ保全トラストジャパン(BCTJ)>>>
http://www.bctj.jp/

 ○関西NGO大学>>>
http://ndai.net/

書名/
熱帯雨林からの声-森に生きる民族の証言
著者/
ブルーノ マンサー (著)、橋本 雅子 (翻訳)

原稿を書き終える10日前、僕はボルネオの大地で現地のNGOのメンバーと過ごしていた。時に森の中に長期間滞在する彼らは、自分たちで小屋を建て、ボートを作り、料理をし、生活する。彼らの大半は村人である。港町から買ってくる出来合いの製品は増えたものの、今もなお、村の生活用品の多くは、彼らの手によって森に生える植物など自然から作られる。

日本に帰ってきた僕は、身の回りを見渡してみる。その中で何か一つでも僕自身が作ったものがあるだろうか。壊れた何かを修理した記憶があるだろうか。買ったほうが安いとモノであふれかえり、捨てられず飽和した倦怠感と新たに欲しいものに対する欲望にしばられている。そして、ときおり思考停止していた脳みそがボルネオの大地を思い返し、なぜ僕がこれほどこの土地に惹かれ、関わりつづけているのかを思い起こすのである。

かつて・・いや、今もなお、森の中を自給自足で暮らしている民族がいるという。ボルネオ島サラワクに住むプナン民族と呼ばれる彼らは、生活の全てを森からの恵みから受けとり、決して争うことなく、質素でおだやかな暮らしをはるか昔から、移動しながら続けてきた非定住民である。彼らには誕生日も年齢もない。生きるということは、日々の糧を与えてくれる今だけにあるからである。彼らには「ありがとう」にあたる言葉がない。分かち合うことは彼らにとって当たり前のことだからである。

ある時、彼らの住む森に、ブルドーザーの足音とチェーンソーの叫び声が鳴り響いた。轟音とともにあらわれた政府の役人と警察は、プナン民族に、商業伐採のために森を明け渡し、政府の用意した土地に定住するように告げる。伐採業者は、命の源である森の木をなぎ倒し、彼らの先祖の眠る墓までをも掘り起こした。彼らの生活のすべては、誇りや尊厳とともに、失われていった。

土地の権利はすべて政府にあるという役人に対して、プナン民族の一人が問うた。「我々は、はるか昔からここへ住み続けてきた。この土地のすべて、木や生きものの名前、効用、それをあなた方は知っているのか。知らないのなら、なぜここがあなた方の土地だというのだ」。

プナン民族の生き方を知り、遠くはなれたスイスからやってきて共同生活をしていたブルーノ・マンサーは、この事態に対して立ち上がった。もともと自然の中での素朴な生活を愛する穏やかでユーモアを持つ彼だが、苦渋の選択として、80年~90年代、森林破壊問題を国際世論に訴えるキャンペーンを世界のNGO等と展開し始めた。この動きは大きなうねりとなり、世界各地で熱帯林保護運動がおこる。この本は、このブルーノ・マンサーとプナン民族の報われない闘いを描いた手記である。

民族衣装をまとった人々が、木を運んでくるトラックに向かって、バリケードをはり、両手をあげて阻止しようとしている。有名な道路封鎖の風景だ。そして、道路封鎖は20年以上たった今でも続いているという。それを、僕は、昨年日本へ呼んだサラワク活動家から聞いたのだ。

かつて、これらの伐採された木材の最大の輸入国は日本だった。日本の商社により、輸入された安い熱帯材は、建築物や工事用のコンパネにほとんど使い捨てのように利用された。日本でマンションや住宅が立ち並ぶ一方で、ボルネオの先住民族は苦しみ、日本の林業は衰退し、森は荒廃した。いまや日本には建物が溢れかえり、巨大化した都市の中で迷路のように分断された生活を人々が送っている。僕は、自分の無力感とやるせなさとともに、一筋の光明がないかを模索しているが、時々絶望しそうになる。なぜならこの物語は、決してボルネオのある民族だけのストーリーではなく、世界中の先住民が同じように抱えている問題であるからだ。そしてそれは、ダム・原発・基地・・日本でさえも同じ構造を持つのである。

2005年にサラワクに密入国したブルーノ・マンサーは突然失踪した。友人の必死の捜索にも関わらず、いまだ見つかっていない。おそらく暗殺されたのだろうとも言われている。ブルーノ・マンサーは最後に、われわれに向かってメッセージを発している。

「他の人たちの過ちを非難する前に、自分の足元に立ち返ろう。各人が自分にできることを始めることが、問題解決への最も確かな近道である。」
 

 

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