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貝原浩という画家がいました。彼が遺した画文集『風しもの村』は画廊を営む私にとって、「画家の魂」とでもいうべきものの強さを教えてくれた本です。
『風しもの村』とはチェルノブイリ原発事故の放射能が風にのって降りそそいだベラルーシの村々のことです。事故から6年後の92年2月、零下20度のチェチェルスクという村を貝原さんは訪ねます。子どもたちへの医療支援を行う日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)の人たちと写真家の本橋成一さんが一緒でした。5月に再訪した後、182cmの長さの和紙10枚を一気に描き上げ、文とともにまとめられたのが『風しもの村から』(平原社刊)という小さな美しい画文集でした。立ち入り禁止区域の村に戻って暮らす「サマショーロ」(わがままな人)と呼ばれる人びと、畑や林、馬や牛や犬や鳥、食卓のご馳走。そしてチェルノブイリの石棺。全てが危険な放射能に汚染されているのだけれど、絵巻物のような画面を埋めつくす風景は美しく、深いしわを刻みこんだ農民たちの表情は暖かく、強いのです。
翌93年に、当ギャラリーヒルゲートでその本の原画展を開きました。その後も貝原さんは毎年のように現地におもむき、展覧会も毎年のようにつづきました。
1970年に東京芸大を卒業以来、数多くの本の装幀やデザイン、絵本制作等を手がけてきた貝原さんは、画家というより「絵師」という名を好み「早い、安い、うまい」などと人を笑わせながら愛用の筆ペンでササッと相手の似顔絵を描くのです。画廊を訪れて貝原さんに会った人は誰もがそのおおらかな優しさに魅きつけられ、次の旅にカンパすることに。すると旅先から直筆の絵ハガキが次々と送られてくるのです。そんな旅のひとつ、ポルトガルを描いた『FARWEST』は精緻な鉛筆画による超現実的な世界。画家としての力量を印象づける画集でしたが、そこにもやはり深いしわを刻み込んだ老人たちが確固として存在するのです。それらの本のページを繰る度、地図から消された村に還り、残りの人生を過ごそうとする風しもの村の老人たちを描きつづけたのは、貝原さんが人間とその日々の営みを愛したからなのだとだんだん胸に落ちる気がしてくるのです。
2005年6月、ガンによって57歳の若さで貝原さんが亡くなった後も、当画廊のショップ本棚にはいつも貝原さんの本があり、手にとった人々を魅きつけてやみません。
絶版になっていた小型本は2010年に大型の『風しもの村』(パロル舎刊)として再版され、その翌年、東日本大震災による福島の原発事故により、日本にも多くの「風しもの村」がうまれました。その年、没後三度目の遺作展を開催して、何度もみてきた風下の村が今までとは違った強さで語りかけてくることに驚かされました。それは作家貝原浩が私たちには見えないものを見て、感じていたことの証しに思えるのです。
※書籍等の入手方法は、出版元の都合により非常に入手しにくくなっております。ご購入は、
「貝原浩の仕事の会」http://kaiharaten.exblog.jp/i12/ よりお願いいたします。
なお、アマゾン等ネットショップでは購入できる場合もあります。