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僕は司馬遼太郎さんの「竜馬がゆく」という小説に感銘を受けました。この本は、数ある本の中から、私たちのルーツである歴史を知ろうと軽い気持ちで思い、読み始めたものでした。
限りなく大きな「人間力」と自然が作り出したであろうそのアナログ劇場では、当然ながら古き良き幕末の京都の人間模様や自然も色濃く描かれております。
数年前、日本ではまだエコという言葉がそれほど使われていなかったころ、四条通り沿いのライブハウスでの公演の為に京都に行きました。ディーゼル車のエンジンをアイドリング状態のまま機材を搬入していた時に、英語圏の外国人に大きな声で注意されたことを今でも覚えております。その方はきっと観光でいらしていた方だと思いますが、世界を納得させる『歴史深い美しい街』で僕らが安易にとった行動は、あまりに軽率に映ったに違いありません。
まだ地球が若かったころの日本を当然リアルに感じることはできませんが、幸いにして僕らは今でも群馬の山の中で自然に囲まれて暮らせています。歴史の浅い僕でさえ、食物連鎖や四季のサイクルのズレ、自然の怒りを日々痛感しております。便利になることは一向に構いませんが、手軽になっていくことに何ともいえない哀しさを感じてしまいます。
ビジネスライクな産業が代償を考えずに発展して、いよいよ皺寄せが目立ってきた現代に、今更大げさに“あるべき”を並べても何をして良いのか解らずに途方にくれる現代人は多数存在すると思います。
以前、自給自足を繰り広げているコミュニティの方々のお話を聞いた際、彼らの中に優しさと厳しさを覚えました。そして、その中に絶対的な責任感と愛情に上乗せされた自信のようなものを感じました。きっと“エコ”とは先述した「人間力」なのではないかと僕は考えるようになりました。モラルの欠落した“エゴ”を一人一人が減らしていくことで自然とマッチしていくものなのだと思いました。アタリマエの価値観が日に軽薄なものになりつつある現代で、もう一度多くの愛情と意識を持って生活していく人間力ではないかと・・