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Vol.022先取りしすぎた「環境危機意識」 〜研究者、官庁、マスコミのスパイラル相乗効果による環境ホルモン騒動

環境ホルモン―人心を「撹乱」した物質

京都大学大学院農学研究科 博士課程単位取得後退学   京都大学大学院農学研究科研修員
嘉田 修平さん
大学院時代から、琵琶湖をフィールドとして、湖岸のヨシにつくカメムシ(種名:コバネナガカメムシ、写真)や、その近縁種を用いて、カメムシの生息場所と移動能力の関係について生態学的研究を行っている。近辺での自然観察会のガイドも頻繁に行う。滋賀近辺にいるカメムシの種類はほぼ見分けられるのと、観察会での子供の相手が特技。琵琶湖岸で新種を発見したのが自慢?とのこと。海外でカメムシをとりまくる放浪の旅にでるのが夢。写真はフィリピンで撮影したコバネナガカメムシの一種、Macropes major(和名はない)。
書名/
環境ホルモン―人心を「撹乱」した物質
著者/
西川 洋三

 現れては消えていくもの、はやりの音楽・ファッション、一発屋芸人、・・・それらポップカルチャーにとどまらず、研究の世界にも流行というものはある。「環境ホルモン」という言葉を、ご存知だろうか。私が今回紹介したいのは、西川洋三著「環境ホルモン〜人心を撹乱した物質」という本である。一時期あれほど世間を騒がせた環境ホルモン(内分泌かく乱物質)の害が、なぜ現在あまり扱われなくなったのか、本書では、企業で化学物質の安全性を扱ってきた立場から、環境ホルモンの害につき批判的に解説している。
この問題の発端は、1996年発行で世界的ベストセラーになった「Our Stolen Future」(邦題 奪われし未来、シーアコルボーン編著)であった。本書では、アメリカのフロリダ州の湖では、雄ワニのペニス矮小化がおこっている(1980年代)ことや、エゾバイ科に属する貝の一種で、インポセックス(メスのオス化)という生殖異常を引き起こすことなど、野外環境下でおきていた野生動物の不妊化を報告した。それらは、人工化学物質が原因で、動物のホルモン作用の混乱ひきおこしたことが原因であると告発し、それらの物質を「内分泌かく乱物質」と名付けた。実際、それらの現象の原因はワニでは農薬に含まれたDDT、海の貝では、トリブチルスズというスズ化合物が原因であるようだ。また本書では同時に、人間でも同様に精子の減少などによる不妊化が将来おこるという主張が付け足されていた(結果の解釈は疑問視されている)。
 

この本の出版後、世界中で内分泌かく乱物質の研究が爆発的な勢いで勃興した。日本でもこの動きに敏感に呼応し、NHKをはじめとしたマスコミ、研究者が内分泌化学部質の害を扱い始めた。それらを一般市民に分りやすく紹介するために、NHKは「環境中に存在するホルモンのような物質」という意味合いから環境ホルモンという通称を考案した。そして環境庁(当時)が1998年に「環境ホルモン戦略計画SPEED’98」により67の物質をリストアップしたことで、多くの努力がそそがれた。その大きな潮流にのって、多くの研究者が内分泌かく乱物質に関わった。魚介類、鳥、そして人間への環境ホルモンの害を立証しようと、たくさんの人が奮闘した。
しかし、すでに1962出版の名著「沈黙の春」で扱われていた、PCBやDDTへの暴露が明らかな負の影響を野生生物におよぼしたことをのぞくと、これらの環境ホルモン作用の研究は、はっきりとした害を検出はできなかった。影響の報告が一部でなされたものの、その結果の多くは疑問視されている。本書によると「低容量効果は再確認できない」「不自然な高濃度の実験設定でさえ結果がでない」「合成化学物質の影響ではなく、動物本来がもつ性質のばらつきの一部をとりあげて、あたかも害があったかのように仕立て上げた」という指摘、また「合成物質の環境ホルモンよりも、生物由来のホルモン作用をもつ物質、たとえば大豆のイソフラボンや、尿に含まれる人間の女性ホルモンのほうが、よっぽど生物への影響は大きい」というのが実際の生物が暴露しうる量を考えた「自然なシミュレーション」の結果であったらしい。実際、環境省も先のSPEED’98のリストを取り下げた。ただし、実際に過去害があった、PCB・トリブチルスズなどは、使用が厳しく制限されたことが功を奏し、被害は早々と90年代には改善していた。
 

研究者もマスコミも「危険だ」と主張した方が、注目を浴びるし、研究費もとれる。また、もし危険でないとわかってもその責任を問われることは少ないだろう。その結果、環境ホルモンは「危険だという考えを否定しきれない」「さらなる研究が必要だ」という見方だけがとりあげられ、多額の税金をつぎ込んだ研究がおこなわれてきた。しかし、それらは「大きな成果はあがらなかったというのが、多くの人の感触であり、『安全だ』『危険だ』という両方の見方を天秤にかけてこなくて一方向の視点にかたよりすぎたから」ではないか、というのが本書の意見である。それは私も全面的に賛成で、科学的手法では「危険かもしれない」という主張は容易だが、「安全である」という主張をするのは、それよりずっと難しいことにも原因があると考える。危険性の指摘は一状況のスナップショットでよいが、安全かどうかは、状況依存的な反応の総体をとらえなければいけないからだ。自然科学の手法の難しさがあるといっても、人間社会においては、危険性の主張を過度にふりまくことを是としてよいのだろうか。
私は、本業は昆虫の生き様を研究する立場であって、環境問題を学問として扱っているわけではないが、希少種の問題や生物多様性にふれる時、人間の影響力の大きさを感じざるをえない。しかしながら、自然選択という長い歴史をへてきた現存生物の「しぶとさ」、言い換えると種々の物質への抵抗力や環境適応力をもちあわせていることを考えると、彼らにとって化学物質の暴露は日常茶飯事であり、それらに敏感に反応するとは限らない。ある危険性が疑われた時の「予防原則」は否定しないが、しっかりとした裏付けなしに物質への恐怖心ばかりを振りまくのは、世間にとって有益ではない。
一部の悲観的な見方による、「これからの地球圏は暗いことばっかりだ」という主張、それは少なくとも人工化学物質の人間への害に関しては、現状それほど心配せずともよい。本書はそのような見方を提供してくれた。
 

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