ページの先頭です。本文を読み飛ばして、このサイトのメニューなどを読む

サイト内の現在位置です:

Vol.003転がる石のように


元祖大四畳半大酒場ポン
ドクターハセガワさん
京都は壬生育ち。木屋町通りで10年以上『ポン』他飲食店を経営する傍ら、トランペットやサックスを担ぎ、夜な夜なセッションを続ける盆地の海賊。3男1女のパパでもある。2007年、大声コンテスト全国優勝。2008年、京都お笑いバトル準優勝。
書名/
転がる石のように
著者/
景山民夫

 受験勉強の中、日々の不満と戦いながら、自分の居場所を探していた17才の時、この本に出会った。ある日本人の少年が、アコースティックギター1本を持ち、60年代最後の年にアメリカを西海岸から東海岸へと旅する。青春のバイブルだ。巨大な異文化に飲まれながらも、必死で踏みしめ歩き、己を感じていくその苦悩や発見に、心が踊ったのを覚えている。私自身が20代の大半を音楽に注ぎ込むことになったのは、この本がスタートだったのかもしれない。

若者が音楽をはじめとする、芸術活動や言論活動において、「反体制」「反大衆」といった、パイオニアやオリジナルへの憧れから成る「反抗(心)」は、極めて強い活動へのモチベーションである。誰しも胸に一度は抱いたであろうこの強い意識「反発」は、揚々として無意識の中に存在し、そして意義のあるなしに関わらず、数々の作品や革命を生んで来た事は確かだ。しかし一方で、私たちは「反体制」「反戦」「反核」といったように「反」という枕詞なしでは、その事そのものと関わるアイデンティティーを失っている事も現実として留めなければならない。

テーマへといこう。我々の地球の危機が声高らかに叫ばれ始めた近年、「ストップ・ザ・温暖化」や「地球にやさしく」といった枕詞付きの考えは、ここ数年で「エコロジー」なる名詞へと大衆レベルで完全に昇華し、「エコ」と略され市民権を獲得した。止まらぬ温暖化や枯渇してゆく資源の現実が、連日メディアで流され、この「エコ」なる考えが確立していったそのスピードには目を見張るものがある。民の環境への意識の高みは、有識者の想像と期待を決して裏切る速度ではない。

しかし、それに呼応するように、「脱」「反」エコロジーなる書物や識者の存在も目立って来た。目を通せば、なるほどとうなずける事柄も多く、真実は何処にあるのか迷走する自分すら在る。では、地球環境に関するこれらの「脱」「反」的書物に、まだ人生のスタートライン上に居る若者たちが、その早い時期に最初に出逢ったならば、反抗心溢れる「赤い青」は一体どこにレゾンデトル(存在意義)を見出すのだろうか。残念だが答えは案外明白だ。

テクノロジーの進化進歩、それに対する人間の欲求は止められない。エコロジーに対するVSとして考えられるこのテクノロジーの進歩が、地球の危機を救う事は十分に想像可能であるし、文明を手にした人間が、それを手放す勇気は到底期待出来ない。

地球の未来や我々人間の将来を、正しく、清らかに見つめる為には、このテクノロジーを推進する「脱」「反」的考えが、かつての「エコ」のように枕詞を外して市民権を獲得する事が大事である。この物事を、皆で語り合い、真実を見出す一番の近道なのかもしれない。今より数年後、「エコ対テク(?)」なる討論番組が連日メディアを賑わす事を願うばかりである。その時こそ、それこそ世界中の人々が地球環境を本気で考えるテーブルに座る時だ。我々は正に、その岐路の只中に居る。

追伸:文化と文明、自然とテクノロジーの両論をバランス良く抱えている、私たちの街京都で生き考える   と、環境問題は、古来からある「もったいない」という冠の元で、実行は簡単。全ての市民が、支出は抑えたい筈だから。
 

京都と本とエコとわたしトップに戻る

ページの終端です。ページの先頭に戻る