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Vol.005木を植えましょう―Sustainability & spirituality

木を植えましょう―Sustainability & spirituality

庭師/Garden Designers/Herb collector
京都 相羽屋 Big Peace Garden 相羽余史緩さん
96年より庭師の世界で修業開始、東京、静岡、京都、大阪、淡路島、四国、九州と全国それぞれの人々、四季、風土、感性、家相、自然に宿る神々をそのヵ所ヵ所で学ぶ。04年独立。現在も京都をベースに全国、世界で思想を唱え作庭し続ける。
それと同時に自然の恵みを熟知しHerbを扱い、Organic、Raw Food、Energy Food等発進している。

●京都相羽屋ブログページ>>http://www.Kyoto-aibaya.com/
書名/
木を植えましょう―Sustainability & spirituality
著者/
正木 高志

2009年12月・・・明らかに五感でそれを感じる。大自然界の災害、世界状勢の悪化、政治や毎日の生活の将来性に加え子供達の未来への不安。
そんな話しをnatural food villageの店主と共に語り合った帰り際、この本をふっと差し出してきた。
1ページめくると、
われわれは森から来た
われわれは森だ
われわれは森へ帰る
自分自身にとって、この3行の言葉の中に前から知っていたかのような懐かしさと再確認、体中に電流が走ったかのような衝撃と共に悟り澄まされた感覚。ページを重ねていくと、内容はもちろん、小学生でも理解出来るのではないかと思うくらいの分かりやすさと著者の優しさがひしひしと伝わる。
更に締めくくりの言葉は心温まる全てへの感謝の言葉であった。

なぜ僕がこんなにタイトルや内容に衝撃的感覚で吸い込まれたか?京都をベースに構える庭師であるが故に、木を植えるという動作は自身にとって、日常動作なのである。今まで数万の木をこの手で、土を掘り耕し、新たに育まれる生命の繋がりをそれにかけてきた。しかし本当に今までその気持ち(対等)でやって来れたのか?もちろん美意識やストーリーも大切であると思う。樹齢何百年という木が、人間の愚かな心の持ち方で、伐採し続けられる今、一人の人間が一本の木を護る事すら出来ない現実。
便利や発展等だけの為にこの状況を続けていいのだろうか?本来あるべき姿の価値のある地球の再生を試されている気にすらなる。

冒頭に五感という言葉を使ったが、御存じの通り視、聴、嗅、味、触である。全てエコに結びつく感覚。
ただ、昨今の、エコという言葉のブランド化には疑問を感じる。エコを利用し、また人間達が活用するエコビジネス。それを嘲笑うかの如くメディアの更なるこじつけ。年々増えていくこの動きに、本当の意味のエコロジーを実践しているのか?
関係のない所にまで浸透している本質の在り方。五感だけでは捉えられない事実があるのも現実である。ただそれ以上に感覚で動作出来なくなっている人口の減少も事実である。個人の感覚こそ、その個人のレベルアップに繋がり次の世代に伝承させ、その時代の先駆者となりまた次の代に繋げる。
例えば、どの職種においても職人が減ってきている。ただ用意された物を組み立て、数字の範囲内で仕事を荒くし、スピードスピードと煽られる。必要以上にコンクリートや有害物質を流し込み、今だけが良いという工程なのか・・・?京都という歴史価値のある場所が人工建築の場へと変化していく。京町屋の並びがセンスのない建て売りに汚染されていく。
京都(日本)には優れた自然素材が沢山ある。環境や時代に合わせ建築方法が変わっていく事も大切なことではある。しかしその環境を変えたのは身勝手な人間であり、自分自身である。早く気付かなければ未来はない。

先日、友人が「良く分からないけど"島"っていいよねっ」という言葉に耳を傾けた。もしかしたらこの感覚は大半の人が思う事。その瞬間になぜ島がいいのかという答えも出た。そこにはきっとシンプルな自然との生活があるから。

ここ数年の間、京都の五山を間近で見ましたか?松枯れは当り前、その山の主ではないかと思う大常緑樹でさえ枯れてきている。もしも個人に深い愛情と全てを受け入れる心を持っているならこの枯れ現象は地球自身が自ら行っている事だと僕は想う。人工林では言わずもがな、バタバタと木が倒れている。京都市でも、ボランティアでも各地それぞれ間伐を行っているのも事実。しかし、それに追い付かない環境の変化。何百年先を想像した時、今、山々が枯れていき本来の地球の循環がまともに行かず、更なる変化を起こすであろうそれを一番重く、深く、深刻に気付いているのは地球自身で、現在の環境に耐え切れず自ら木を倒し陽を入れ若葉を芽吹かせ、立木密度を疎にし、残った木の肥大成長を促し、水の流れをも変化させ活性化し再生し、持ち堪えようとしているのではないか。人間がこれ程までに地球に負担をかけているのに対し、木自身がそれの対応をしているかのように想う。
生物多様性がもたらす恵を今、この瞬間から地域(京都)で造り、他では得れない希少価値を得て維持すれば、次の時代には必ず地球保護に繋がり農作物や海産物ももっと経済価値が上がり、農林漁業が発展するであろう。

何を考え、何を思い、何をすべきか?
それは、温かい愛情たっぷりの深い深い心の奥底にきっと答えがある。格差を計るのではない。全て平等、ぼくたちは繋がっている。
 

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